ジン太郎の話

どう生きて行くのか、多様な世の中における人生の探求録

戦争の歴史を身近に感じた日

お母さん、妹、この手紙が届いたら、まずは赤飯を炊き家族みんなで祝杯を挙げてください。私はこれからこれ以上にないような名誉な任務に赴きます。これも全てお母さんが私を立派に育ててくれたおかげです。

 

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これは二十歳前後の青年が家族に向けて書いた手紙の冒頭の部分です。

何かの合格祝いとかに見えますね。

 

お久しぶりです。ジン太郎です。

コロナの影響で仕事と通信大学に支障が出て、予定より半年遅れましたが、もうすぐ教員免許が取れそうです。

さて

本日は8月9日。長崎で原爆が落ちた日ですね。

といっても70年以上前の出来事です。当時の生き証人も減っていくなか、とても大事な歴史だということは知っていても、いまいち実感がない、「とりあえず黙祷しとくか」みたいな方もいるのではないでしょうか?

かつての僕もそうでした。

 

そういう人達の力に少しでもなればと思い、今日は僕が戦争の歴史を身近に感じた時の話をします。

 

 

中学3年生は本来コロナさえなければ、

6月あたりに歴史の授業で第二次世界大戦終盤を勉強してる学校も多いと思います。

戦争当時の5月~8月といえば、

横浜大空襲や沖縄上陸戦、2度の原爆投下など終戦前の悲劇が連続した時期なので、

生徒の中には授業で学んだことを今日思い出している子もいるかもしれません。

僕の教育実習はちょうどこの6月でしたが、

この時に一部の生徒達から気になる意見がありました。

 

「まるでフィクションのようでピンと来ない。」

「授業で流れたVTRの内容が怖くて頭に入らない」

 

などです。後者の意見に関しては先生もいろいろ配慮していました。

実はこの意見、僕の友人や身内からも度々聞いた意見で、僕自身もそう思う部分がありました。

確かに戦争の話は基本的に暗い内容ですし、そんなことを一時間以上、話なり文章なり、映像なりで見聞きするのは、どんなに真面目な性格でも拒否反応を起こす人もいるでしょう。

「大切な歴史だと思うけど、内容はちょっと苦手。。。」

ってパターンですね。

 

そんな僕が戦争について真面目に考えることができたのは、大学生の頃、

わずか数分の経験からでした。その数分で僕は戦争の歴史を重く受け止め、初めて実感することができたのです。

それはかつての大学生時代、ゼミ活動の傍らで寄った、茨木県にある

予科練平和記念館(リンク)

でのことです。

予科練とは、「海軍飛行予科練習生」。簡単にいうと戦争に向けて航空戦闘のために訓練を受けた10代~20代前半の人たちのこと、あるいはその制度のことです。

約24万人の少年達が訓練を受け、第二次世界大戦では約2万4千人が戦いに飛びたち、8割の約1万9千人が亡くなりました。

そのなかには特攻隊として出撃した方々もいます。

 

予科練平和記念館には戦地に赴いた少年や青年達の遺書の原物が展示されています。

ただ遺書の内容が旧字なうえに達筆すぎて僕には読めなかったので、なんとなく気になり、スタッフのお姉さんに訳してもらいました。

 

本記事の冒頭のアレ。かつて大学生だったジン太郎が見た、二十歳前後の特攻隊員の遺書の冒頭です。

 

同い年の子がこれから飛行機に乗って、敵軍に突っ込んで死に行く直前に書いた手紙の冒頭が

「お母さん、妹、この手紙が届いたら、まずは赤飯を炊き家族みんなで祝杯を挙げてください。」

だった事....

 

内容がうろ覚えなのですが、実際はもっと華やかで盛大な祝辞のように書かれています。文面だけみたら、これから死ぬ人の文とは思えなかった。

 

しかもめちゃくちゃ達筆です。

 

最初の正直な感想は「聞かなきゃよかった」でした。

それだけ当時のジン太郎にとっては、学校の先生の長話やどんな本や映画やおばあちゃんの話よりも、約70年前の同い年の子が書いた、った数分で読める遺書の原物の方が衝撃的だったのです。

 

何故この手紙がそこまで僕に戦争について考えさせたのか、

それはおそらくこの手紙が同世代によるものだということが、大きかったのだと思います。

なんせ当時の僕の悩みといったらせいぜい部活や学業の悩みだったので。

手紙を理解した瞬間に彼らとの温度差に打ちのめされました。

もし彼らが現代に生まれたら、我々のように「単位取れるかなー」とか「就活どうしよー」とか「次の試合勝てるかなー」とか、そんな青春を謳歌していたかもしれない。

だから衝撃的だったのです。

僕の感覚からすれば、これから理不尽に死な為に飛行機に乗せられる状況で

こんな華やかに大学受験合格とか結婚報告とかそういうノリで、祝いみたいな文章を書くことなんて正直まったく感情移入なんてできなかったし、

それが彼にとっての本心なのかもわかりません。

 

でもね、手紙の後半どうみても筆が震えているんですよ。

しかも余白足りなくなったのか、字が小さくなって隙間ギリギリまで書いているんですね。

きっと書いているうちに、どんどん感情溢れだしてたんだろうなーって。

それだけの生々しさと熱量があります。手紙は言葉が目に見えるのでほんとにすごいです。

ちなみにこれらの手紙は、そのほとんどが出される前に検閲が入った後に家族のもとへ届きます。

なので「戦争嫌だー」みたいな事は書けません。

 

ちなみに記念館には、検閲を免れた手紙も展示されています。

だとすれば、そこにはどんな内容が書かれてあったのか?

みなさんの想像にお任せします。

 

若い方で、グロテスクな話を長々聞いたり、映像見たりするのが苦手な方、生まれる前のことだからイマイチ戦争の歴史がピンと来ない方、

自分に合った、自分の感性に訴えかける資料がどこかにあるかもしれません。

こんな遺書を若者が書くような世の中にしないためにも、いろんな人が何かがきっかけで関心を持てるといいと思います。

 

今回の参考資料HPはこちら

予科練平和記念館