ジン太郎の話

どう生きて行くのか、多様な世の中における人生の探求録

指導での体罰や暴言の話:正解のない問題①

おはようございますジン太郎です。いきなり重めの話をぶっ込みます。

今回の話は子供や部下など、誰かを指導する立場の方々や、今誰かから指導を受けている方々に対して。また過去に指導者や上司などから大なり小なりの暴力を受けた事がある方に対して

指導で暴力を使うのは賛成ですか?反対ですか?

というお話です。ちなみに体罰に関しては学校や会社において既に社会のルールで明確に禁止されていますが、未だに多くの人の間で「賛成」、「反対」、「場合による」、などの意見が対立しているように見えます。

ここでいう「暴力」とは体罰などの肉体的、物理的なものだけではなく「言葉の暴力」すなわち精神的なものも含まれます。

先に伝えておくと私は「反対」です

 

目次

 

  • 何を伝えたいのか

何故いきなりそんな話をしたのかというとタイムリーな話題だからです。最近だと2019年2月に福岡市の少年サッカーチームが指導者からの暴力で怪我を負ったニュースがありましたがご存知でしょうか。

また、2月中旬頃には東京都にて保護者による体罰禁止の都条例案が出ました。これに対しては体罰賛成と反対派の意見対立が少なからず話題になっているようです。(該当記事の一つをこちらに

他に記憶に新しい事例だと1月頃の町田総合高校での体罰の件、去年(2018)だと体操の宮川選手に対するコーチの暴力や日本体操協会の会長の対応についての問題。また日大のアメフトのタックルの件も指導者達の対応が問題視されていました。

実は私、こういった賛否両論巻き起こる指導の現場で指導を受けた側として3年近く身を置いていたことがあるのです。

 

※実際あった事実を述べているとはいえ、内容はあくまで「ジン太郎視点」です。あくまで主観です。また目的は当事者達を糾弾する事ではありません。

しかしこれから話す事は学校だけでなく社会のいろんな場面で類似するケースが存在すると思っています。

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  • ジン太郎の中学時代の話

学生時代に部活動をやっていた方は顧問の先生から厳しいお叱りを受けた経験はないでしょうか?多くの方が経験あるのではないかと思います。

ではその中で「先生の腕からパイプ椅子が飛んできた」という経験はございますか?「パイプ椅子」ってあれです。体育館にある卒業式とかでよく使うあの椅子です。流石に3年間でたぶん一回だけだし、誰もいないスペースに投げてくれたので怪我人はいませんでしたが…。「セッション」というジャズドラムの映画に同じような場面ありましたね。

 

どんな環境だったの?

私ことジン太郎少年は中学時代あるラケット競技の運動部でした。部活動指導において数多くの実績を沢山持っているA先生が我々の入学と共に転勤配属され顧問となりました。もともとうちの学校は強かったらしく、それが近年実績が伸び悩んでいたため、地域や学校内の期待も大きかったそうです。

当然結果を求めるにはそれなりに厳しい練習の日々があります。

土日祝日の多くは朝から夕方まで練習をし、夏休みの活動休日は一日だけ。というより部活の休みは試験休みを除けば1年間で平日含めてトータル7日あるかないかくらい。

今の世論の流れを見ると「ブラック部活」とか言われて賛否が分かれそうな活動時間ですかね。

しかし部内で問題視されたのは活動時間ではないです。問題はA先生の指導でした。

「この役立たずが、いつになったら役に立つんだ?」

「そんなに間抜けでどうする?お前邪魔なんだよ。消えてなくなれ」

「チ○ポはあるのに進歩がねえな。(ラケットで相手の股間を軽く叩きながら。痛かったです。)練習しても生産性がねえよ。二酸化炭素だけ吐いて地球温暖化に協力してるだけじゃねえか」

「腐った脳味噌なんだから使うだけ無駄だろうがボケなす。大人しく言うことだけ聞け」

「お前から競技力抜いたら大した価値は残らない」

「バカは死ね。役立たずはいらない」

これらはほんの一部ですが、部活動ではこういった暴言が日常的に常用されていました。

技術的あるいは能力的要望が果たせないとき、返事が不十分だった時や礼儀が不足していた時、その他行動面で的確にできなかった時など様々です。

体育館では常に怒鳴り声が響いていました。少しでもA先生の機嫌を損ねれば「グランド○○周」などもあります。

何かしら指摘できる点を見つけては暴言を浴びせてくる上に常に高圧的に接してくるので、まともなコミュニケーションなど取れる状態ではありませんでした。

それらは次第にエスカレートし、1年生の後半あたりからはラケット頭や身体を叩くといった物理的暴力も常用されるようになり、2年生からは足や頭、体のあちこちにラケットで叩かれたミミズ腫れやタンコブなどを作って帰る日々でした。

「その足もっと早く動かねえならぶっ叩いてでも動かせ、出ないと俺がぶっ叩く」

そう言われてからは試合中無意識にラケットで足を叩く癖ができました。一応言っておくと別に私はドMではありません(笑)。

また学校行事や委員会活動等で部活動の時間に支障が出る度にA先生に文句を言われる状態なので学校生活の全てにおいて「今度は何言われるんだろう」とビクビクしている子も現れました。

これに加えて休みのない日々と練習内容は肉体的にハードな為、我々の心身は試合での実績と引き換えに追い込まれていくこととなったのです。

 

なんで辞めないの?

当然「生徒達は何故そんな環境で部活動を続けるのか」、「その現状を誰か問題提議しなかったのか」と疑問を持つ方もいると思います。

実際校内には問題視する先生もいました。もともと他と比べると生徒が少ない学校で部員数も少なかったとはいえ、我々の学年の退部者は1名のみでした。

その理由は主に次の3つです。

実績が出ていたため、部活動に意義を感じた。

   前評判通りA先生の指導の結果、我々は校内でも注目されるような、受験に少なからず有利に働くくらいには、大会実績を上げていました。

当時スポーツが苦手だった私もそれを克服し自分なりに良い成果を出せたことが嬉しかったですし、チームとしても日頃の苦労が報われていた事に感動していました。

「A先生についていけば試合に勝ってこの感動が味わえる!」ってなっていたのです。

A先生の指導に情熱と正当性を感じつつあった。自分たちが悪いのではないのか?

  A先生は確かに今思えば間違った指導が多かったです。

しかしその内容自体は「礼儀の大切さ」や「一生懸命努力する事の大切さ」などが含まれており、当時我々も部活動を通じそれらを学んでいる事を自覚していました。

また我々が休みなく部活動に出ているという事は、A先生(決してお身体は強くない)も休まずに指導に携わっている事も理解していました。この辺はA先生本人の口からも度々出ていた言い分です。

次第に「僕たちが悪いんだ」と何をされても正当化される空気ができていました。

 

ある日私が、副顧問のB先生(普段部活には来ない)に「A先生の指導が辛い」と打ち明けた時の返答は原文そのまま覚えています。

「A先生は、お前達に悔しさをバネにして成長して欲しいと考え厳しく接しているんだ。甘えるな。」

「ここで逃げたらお前成長できないぞ。楽な道を選ぶな。」

全てを納得することはできませんでしたが、当時中学生の我々には何が正しいのか判断しかねていました。客観的には一種の洗脳に見えたかもしれません。

人間関係的な面で退部に抵抗感があった。

学校が生活の中心となっている当時の我々としては、上記のような環境に毎日いると先生が熱心に指導している中、みんな苦しい中頑張っているのに、そこから抜け出すことへの罪悪感がありました。

「チームメイトや指導者に対する裏切りになるのではないか」という考えが頭にありました。

それに加え仮に退部したとしても、部の人達との人間関係は卒業まで続きます。学校自体が小さいので部員や先生方の全員とほぼ毎日関わるため気まずさも容易に想像できます。

 

③結局どうなったの?(指導の暴力をめぐる対立議論)

先に結果を述べるとA先生は我々が3年生の時に部の指導を解任されました。

夏の引退試合の2〜3か月くらい前でしょうか。

行き過ぎた指導にとうとう精神的限界が来たのか、ある日の部活動終了後に部員の数名からストライキをするという連絡網が回りました。 

それをきっかけとし、まるで堰が切れたように多くの部員が一斉にそこに続きました。翌日の放課後、部内の全員とそれぞれの保護者を交えた会議が行われました。

A先生の主張 

「厳しい指導をするのは一生懸命やっている生徒の為を思ってのことだ」

「実際生徒達は礼儀面、技術面共に成長しているし、成果も上げ続けている。」

「毎日彼らに尽くしているのに外側だけを見て、全然こちらの気持ちが伝わってなくて残念だ」 

生徒側の主張

「もう毎日叩かれるのがつらい。廊下で顔を見るだけで怖いし、頭が痛くなる。」

「部活に行くたびに暴言をぶつけられ傷ついた。いつも先生の言葉が頭をよぎる。常に人格否定をされている気分だ。もう耐えられない。」

「どこかの軍隊みたいな生活だ。」

 しかし逆に

「給料が上がるわけでもないのに、いつも休まずに我々のために指導して下さっている。日々の努力に応えてくれている。」

「今我々が試合で勝てるのは先生の指導があってこそだ。」

「我々の行動面に非があれば、叱られるのは当然。自分たちのためだ。」

「これまでの厳しい指導で身に付いた礼儀などの人間教育は、部活以外でも様々な場面で役に立っている。先生は正しい指導をしているかもしれない。」

「先生は我々の事が嫌いなわけではない。これは裏切り行為ではないか。」

ちなみに私はというと

「もう何が正しいのかわからない」

でした。なので周りから少し軽めに「ジン太郎はどっちの味方なん?」って反応をされました。

学校や保護者達が最終的に下した結論とその理由

「A先生を部活動の指導から外す」

これが我々の意見を聞いた保護者と学校が話し合って出した結論です。当時私が聞かされたその理由は

「どんな理由や大義があろうとも、暴力を用いて恐怖を与える躾はダメだから」

というものです。実際のところ様々な要因から判断されたのでしょうが。その辺は想像なので割愛しますね。

 

この話は、当時者である我々とA先生、そして保護者、副校長やB先生などを交え学校の一室にて互いに結論の合意確認を取り、A先生からの謝罪で締め、一旦のゴールを迎えたように見えました。

その後部員達の間でいろんな反応がありましたが以外と多かったのが

「取り返しのつかないことやっちゃった!?」

でした。

「え?自分らも合意してやめさせたんでしょ?」というのはごもっともな意見です。

まず合意確認のあの日、我々が目にしたのは、あれだけ毅然とした態度で強気な指導をしていたA先生が言い訳せずにただひたすらに「ごめんなさい」と頭を下げ続ける姿でした。

この光景は部員達の心に改めて「罪悪感」を叩きつけました。威力は抜群だったと思います。

そしていざ終わってみると何人かの部員が「一時の感情でこんな感じになっただけで、ここまでする必要なかったんじゃね?」といった不安を口にしはじめたのです。私もその1人でした。

その後の部活管理はB先生の受け持ちとなりましたが、基本的に職員室にいるだけで直接携わらなかったため、練習などの運営は部員達がやっていました。

顧問が見ているわけでもないのに引退試合に向けサボることなく積極的に向上心を持って部活動に取り組む自主性が身についたのは間違いなくA先生の指導のおかげだと生徒達は考えてます。

 翌年A先生は他の学校に転勤。その後は見ていません。周囲の大人達の中には「A先生が可哀想だ」という意見もありました。

卒業後に何度か当時のチームメイト達と会う機会がありましたが、集まる度に

「あの時の判断は正しかったのか」

という話題がちょいちょい出ていました。

回想おしまい

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  • 今回の事例のまとめ。(ジン太郎の見解。言いたかったこと。)

体罰含め指導に暴力を使う指導者は、少なからず「指導対象のため」になると思っていた。

②現場に長くいたことで、指導を受けた側はそれに対し正しい面もあると感じていた。

③実際成果に繋がっている事が一定の説得力を有していた。

④しかし結果的には生徒の心に傷を残す形となった。

当たり前のことですが、暴力指導の全てがこの見解に当てハマるわけではないと思っています。

この経験から私はずっと「指導に暴力を使うのは賛成か反対か」についてずっと考えていました。冒頭で述べた「反対です」という結論にたどり着いたのは。大人になってからです。過去の辛かった経験を美談にするつもりはありません。何故そういう結論になったのかは次回に述べます。

今回は過去の経験から、指導における体罰や暴言についての賛否両論の例について述べました。

 

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